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2022振り返り

少し早いけれど、2022振り返り

早いもので、2022年もあと10日程で終わる。今年もいつも通り時間が過ぎるのが早かった。 やや早いが、2022年を個人的に振り返ってみたいと思う

とあるプロジェクトに参画

オープンには出来ない情報なので、オープンにはしないが、この春頃からとあるプロジェクトに参画している。 個人的にずっとやりたかったことであり、それは今も楽しくやっている状況である。 どこかで公開されるかもしれないし、公開されないかもしれない(後者の確率が高くなりつつある)が、それでも最後までやれる事をやって行きたいと思っている。

popInからの卒業

実は、数ヶ月前にpopInを卒業していた。退職エントリとか特に書く必要は無いと感じていたので、書いていない。 popInのプロダクトのほとんどにフロントエンジニアとして関わりを持たせて頂いたのは、ありがたい限り。 自分の技術力に関する自信を深める事が出来た期間であった。 ありがとう、popIn。

パズドラブログの終了

8年5ヶ月程書いていたパズドラブログを終了させた。 もうパズドラネタで、書けることは無いからというのが主な理由。 今後再開することも無いだろう。

女の子への告白と振られ。

先日、勇気を出して気になっていた女性にお付き合いの打診をしたのだが、見事玉砕。 多分、今年一番の悲しみはこの出来事だと思っている。 女の子へ告白成功率はこれで1勝2敗。うーん、どんどんダメになってるなぁ。 とりあえず、来年も独身おじさんを続けることになりそうだ。 結婚したい……。

開発環境のSwitch

開発周りでの一番の変更は開発環境をSwitchした事かもしれない。 長年親しんできたVimの変わりにNeoVimをメインエディタとして採用。 Windows Terminalではなく、Weztermの採用。 WSL2にUbuntu乗っけて、そこで開発するスタイルに変えている。 地味に、今までやってみたかった、Dockerベースの開発や、フレームワークとしてNext.js+Tailwind.cssを採用するなど、今まで出来なかった事に手を出している状況。 特に、Next.jsをベースにしたTypeScriptをコアに置いた開発体験は未だに慣れていない(笑)。 型を意識せずにコードを書いていた事で、色々と血反吐を吐いてる事が多いのだが、これから先、JavaScriptをメインで書くというスタイルは廃れて行き、React+TypeScriptみたいな環境が席巻する確信に近い予感を感じているので、これを前倒しで学んで行きたい所存。 今まで、Reactに手を出していなかったので、useStateの便利さを理解していなかったからであり、useStateを用いたコーディングの便利さに目覚めてからは、ゴリゴリuseStateを濫用する書き方を試している。 まだ、本質を掴めていないと感じているが、単純な慣れの話なので、頑張って色々書いていきたいと思う。

Androidサイド

7月にiPhoneから脱却し、Androidサイドで生活しているが、不便さは全く感じていない。 いや、それは流石に嘘になるけれど、オールインワンでぱっと使えるiPhoneと違って、Androidはメーカーごとにそこそこ癖のある設定がされている。 その癖を無くす設定をすればかなり快適に使える。多分、多くの人にとって、それを探すのは面倒というのが実情であろう。 とはいえ、1回こっきりで設定が終わるので、長い目で見た場合、やはり現状はAndroidの方が革新的だし、安いし、長時間動くし、高性能。 僕のような人間にはAndroidの方が性に合っている。

トラックボール生活

先月、トラックボールを購入してからずっと使っているが、大分馴染んできた。 簡単に使いこなせるという訳ではないが、違和感はかなり拭えている。 親指は疲れるものの、マウスを動かす範囲などが狭くても問題ないため、ますます机の上に色々置くことが出来るようになった。 HHKBとトラックボールという小さい領域で十二分以上の性能を発揮してくれるI/Fは最高だと改めて感じた。

総括

このブログを始めてから、今年は劇的に色々あった年だったと思う。 プライベートも、パブリックも含め、色々あった。 技術面でも、精神面でも、身体面でも色々あった。 このブログがどこまで続くか分からないが、続く限りは、こうやって年末にまとめの記事をさっくり書けるくらいには書いていけたらなと思っている。

コレ以外のブログでは、はてなブログに2本書いている。観る将さんは語りたいとVivaldiとVimとHHKを愛してるだ。どちらも、ちゃんと毎年ほそぼそと更新している。 VivaldiとVimとHHKを愛してるなんて今年10周年だぞ。まあ、10周年だからと言って何か書くわけでは無いが。 最新記事で書いているYUNZII YZ68は、Macで開発する際の入力に用いてる。 リニアなキー打鍵感も悪くないなーと思いつつも、やっぱりHHKBの打鍵感が好きで、メインではいつものようにHHKBで入力している。 今後も、HHKBをずっと使っていくんだろうなという予感は僕の中にある。 入力用のデバイスには、人一倍こだわる派ですし……。

それにしても、本当にこのブログのコンセプトが全くわかりませんね。 来年でいよいよ16年目に突入するのですが、15年経った今でもメインが何なのか理解不能なブログです。 書いてる本人が言ってるんだから、間違いない。

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EFIブートローダを移動した HX90に環境を整え終わってから、アホな事をしたので、その記録を残す。 SSD: Cドライブ SSD: Dドライブ(データストレージ用) + ESP※ SSD: Eドライブ(データストレージ用) ※ESP(EFI System Partition) インストールした時、こんな構成だった。 ESPがDドライブにあるのが気持ち悪かったので、これを削除した。 そしたら、BIOS画面が出るだけになり、Windowsが起動しなくなった。 移動手順 この時の自分はMBRをふっ飛ばした時と同じ現象だと思ったので、MBRというキーワードで検索したが、今はEFIブートローダーと呼んでいるらしい。 【Win10】任意のディスクにEFIブートローダをインストールする 色々検索した結果この記事が参考になった。 Diskpartを使って、パーティションを新たに分割し、bcdbootを実行して、無事に事なきを得た。 パーティションの分割はこんな感じ Diskpart Select volume 0 shrink desired = 200 Select disk 0 Create partition EFI size=200 Format quick fs=fat32 label="ESP" Assign letter=P exit EFIブートローダーのインストールはこんな感じ bcdboot C:\Windows /s P: /f UEFI ちなみに、自分の環境だけの問題なのだが、コマンドラインで、「\」を入力するのができなかった。我が家のキーボードはHHKBだけなので、日本語配列を無理やり適用されると、バックスラッシュが入力できないという不具合が生じる。 結局、コマンドプロンプトからマウスで範囲選択してコピーして貼り付けるという荒業でクリアした。 普通の人は、何も考えずに、\を入力すれば良い。 最終的に SSD: Cドライブ + ESP※ SSD: Dドライブ(データストレージ用) SSD: Eドライブ(データストレージ用) ※ESP(EFI System Partition) という構成に切り替えることができた。

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