枕詞 今日は一日中フルに動いて疲れているが、心地良い疲れである。 身体は疲れているが脳みそは興奮状態であり、それをクールダウンするためにもブログを書こうと思う。 基本的に僕はあらゆることに関してしつこい性質を持っており、他人からするとなんでそこまで情熱を注げるのか理解できない事が多々あるようだが、要するに僕は頑固なのである。 さて、四日目行ってみようか。 四日目テーマ「哲学」 哲学という言葉の意味は、人それぞれなので、今日取り扱う哲学は狭義の意味での哲学というよりはもう少し砕けた哲学を取り扱いたいと思っている。 学問としての哲学を修めているわけではないので、これが哲学だ! のような主張は一切しないが、プログラマは時に多くの哲学に巡りあうことがある。 各々のプログラマが自分の経験や知識を通して、これが正義だ、或いはこれが概ね正しいという作法をコードに落とすことがある。 それは真理というよりは哲学に近い。 人生哲学という言葉が今日扱うテーマに近いだろうか。 多くの人にとって自分はなぜ生きているのか何のために生まれてきたのか自分には何が出来るのかという疑問は若い時分には考えることがある。 自分の役割を明確に理解しているならば、そのような悩みは基本的には生まれないのだが、得てして人間という生き物はその役割を明確に理解していないことが多い。 僕自身は幸か不幸かかなり早い段階で自分自身が果たすべき役割について見つけることが出来た。 それが僕の夢であり、それは途方もなく大きなもので、全人生をかけて成し遂げるには十分価値のあることなので、未だにそれに打ち込んでいる。 だが、そうでない人のほうが多いというのが、他人を観察して気づいたことである。 そういった人には往々にして、哲学が無い場合が多い。 哲学を持ってるから人生の意義を見いだせるという意味ではない。 人生とはなんぞやという答えを見つけていない人、見つけられない人、見つける努力を怠っている人は、かなりの確率で哲学を持っていないということだ。 そもそも、哲学はどういう生き方をするのかを言語化したものであり、人によってその哲学は当然変わる。 自分の思想や考え方、感じ方を言語化するという事を怠っている人は多い。 それも仕方がないと思うことがある。そういう面倒な事は後回しにせざるを得ない