佐藤天彦名人誕生 昨日、名人戦第五局が行われ、弱冠二十八歳の佐藤天彦八段が新名人になった。 初戦を負けてからの四連勝での名人奪取。 将棋ファンなら、棋譜を見れば分かる通り、勢いで勝ったのではなく、内容面でも羽生先生を圧倒した将棋だった。 佐藤天彦先生(以下、天彦先生)は、ここ数年タイトル戦にも何度か顔を出し始めるようになったが、それまでの下積み生活がずっと長い先生の一人であった。 かつて三段リーグで、フリークラス入り宣言を行わずに三段リーグに留まり、実力で三段リーグを突破した強情さと確かな実力を兼ね揃えた棋士であったものの、なかなか芽が出なかった。 佐藤天彦先生の活躍まで 彼の実力が発揮され始めたのは2014年頃から。 B級2組を九勝無敗の無傷で駆け上がり、2015年はB級1組を十勝一敗で突破。 そして、昨年度はA級初年度ながら八勝一敗で名人挑戦、そして、名人奪取という恐るべきスピードで駆け上がった。 名人戦は非常に時間が掛かる棋戦である。 最速でも、C2→C1→B2→B1→Aなので、五年は掛かる。 天彦先生が四段になったのは2006年なので、十年掛かった計算になるが、それでも十年というのは並の棋士からすると、相当早い。 デビュー後七年で名人になった谷川浩司を別格とすれば、歴代でもかなり早い方である。 (最も、プロデビュー後十年以内で名人になった羽生善治(実質八年)、佐藤康光(九年)という化け物共が存在するので、天彦先生の記録は霞んでしまう) 歴史的瞬間 将棋ファンとしては、歴史的瞬間に立ち会えたのだという実感がある。 相手はあの羽生善治永世名人だ。 最近の将棋の内容は悪くなっているものの、唯一七冠独占を果たした男であり、今なお複数のタイトルを所持している規格外の将棋お化けである。 その羽生先生を相手に、天彦先生は果敢に立ち向かった。 ターニングポイントになったのは名人戦第二局。 並の棋士ならば、羽生先生のミスに気づくことは無かっただろう。 しかし、天彦先生は、そのミスに気づいた。たった1手のポカミス。 それを見逃さずに、逆転勝ちに持って行ったのだ。 これが、呼び水となり、以降は天彦先生有利の将棋が繰り広げられた。 内容も充実しており、実力で完全に羽生先生を上回っているのは、はたから見ても明らか...