寝食を忘れるという事。
僕は、比較的若いころから寝食を忘れて何かに没頭するという傾向があった。自分で納得の行く答えが出るまで、延々と考え続ける事が好きだったのである。もちろん、結論が出ない時に諦めるという選択肢を知っていたものの、限界まで突き詰めて考えて自分なりに納得する結論を出さないと気がすまなかった。その結論が正しいかどうかは後に反復してみて、間違っていると思えば再び思考をめぐらしていた。結局、何度も何度も同じ事を考えている事が多かった。
いずれにせよ、僕は何か思考を止めるという時間が殆ど無い人間であった。今現在もそれは変わっていない。思考を止めることが勿体ないと考える貧乏所なのである。
さて、サブタイトルに書いた通り、寝食を忘れるということは一見すると良いことに見える。食欲や睡眠欲を越える知的好奇心というのは中々得られないものだからだ。実際僕にとって与えられたこの集中力は、一言で言えばGifted、神様からの贈り物だと思っている。
人並み外れた集中力という程ではないが、少なくとも周囲の人よりかは集中力が高い傾向にあった。僕自身、それが当たり前ではないというのに気づいたのはあろう事か、成人してしばらく経ってからであった。それほど、頭が悪いという意味でもあるのだが。
先にも書いたように、深く考えている事は異様なぐらい深く考えている、その内容がどれだけ下らない内容であろうとも。一方、深く考えていないことは呆れるくらいに浅はかな思考をしている。そのギャップは酷いという言葉では表せないくらい酷い。
そのバランスの悪さが自分の特長或いはユニークさにつながっていると勝手に考えている。(この辺も思考の浅さを露呈している)
集中する事が悪い場合
集中して何かをするというのは実に楽しいことであり、素晴らしい時間である。だが同時に、その内容がマッチしていない時の無駄さっぷりは酷い。
自分が今まで生きてきて相当の時間を無駄に過ごしてるのは重々承知している。というより、自覚した上でその習慣をやめないというのがたちの悪さだと思う。人はどれだけ思考を深くしようと試行錯誤しても、その時持っている知識レベルで簡単に底が見えてしまう。
その底を取っ払う為に、僕はたくさんの本を読むことに時間を注いでいる。本を読むことは、それだけ自分の知識を増やすために必要だからだ。といっても、自分があまり興味のない分野の本を読んでもあまり楽しむことが出来ないので、興味がある分野の本ばかりを読んでいき、結果としてさらに知識が狭まり悪循環している状況である。
これが、集中することの悪いケースの典型例である。
子どもの教育で、各一教育とか無駄だと唱える無知な方々がいるが、はっきり言って、教育を変えた所で、それを学ぼうとする本人に意欲が無いならば、それはどんなに素晴らしい教育方法だったとしてもただの喧しい騒音にしか成らない。
やる気を出す方法は、個人個人で違うためにこれだという決定版が無い。
僕のような変人にとっては、勝手にモチベーションをあげて、勝手に冷めていくので、余計に扱いづらいであろう。
なので、僕は比較的成績が悪いという結果を出し、そして今に至っている。自分の興味を引かない分野を勉強する価値が全く理解できないからだ。
それが良いか悪いかで判定すると、短い人生経験の結果から言うならば、悪いケースが多かった。
なので、本来は自分の興味が無い分野にも積極的に学ぼうとする姿勢は大事だと思っている。
人間は、いつまでも勉強し続けなければならない生き物だからだろう。
今興味を持っている分野
最近、興味を持ち始めたのは図書館活用である。手持ちの本を処分し、なるべく図書館で本を借りるようにして、空間を生み出すことに成功したからだ。その分、時間とエネルギーがロスしているので、実質的には多少損をしているのかもしれない。とはいえ、今まで読もうと思って読めなかった本が読めるようになったのは僕にとってはプラスだと思っている。
トータルでマイナスだとしても、それだけの価値があると思えばやるべきだと僕は思っている。
何にせよ、本を読むのは楽しいし、そこで得た知識を持って考えるのもまた楽しい。
結局、子どもの時から何一つ僕自身変わっていないのだ。
三つ子の魂百まで。
これを機に、自分がどういう子どもだったのかを思い出すのは良いかもしれない。
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