枕詞
久々に毎日ブログを書いているので、昔を思い出している。
多くの新しい発見や自分の中の考えを書き出していたけれど、それはそれで良いストレス解消になっていた。
このAdvent Calendarはストレス解消になるかどうか分からないが頑張って書き続けていきたいと思う。
三日目テーマ「糸谷哲郎という棋士について」
12月4日に糸谷哲郎七段が竜王位に就いた。
20代の棋士がタイトルを取るのは本当に久々なので、なかなかの話題になっている。
将棋の歴史についてぐだぐだと書く
まず、なぜ今まで若手と呼ばれる棋士がタイトルを取れなかったのかを語らなければならない。
基本的に将棋指しという生き物は10代後半から20代前半くらいがピークであり、そこから緩やかに落ちていくというのが定説であった。
もちろん、その中でも突き抜けて強い人たちが30代、40代になってもタイトルを維持し続けるという前例(升田、大山時代)もあった。
升田、大山時代から、中原、米長、加藤時代が来て、その後に谷川一強時代から、チャイルドブランド時代を経て、羽生世代という将棋界最強の世代が登場したのだった。
谷川時代までの将棋の進歩は緩やかなものであった。秋の紅葉のように、青葉がゆっくりと朱色に染まっていくものであった。
プロ棋士は、アマチュアとは比べ物にならないほど強く、多くの定跡がまだ確立されておらず、混沌としていた時代であった。
覆される定跡〜谷川時代〜
谷川浩二という天才の登場により、その定跡が根底から覆される将棋が増え始めた。
天才谷川が壊したのは終盤の定跡である。
終盤での攻め方は現代はもちろん、進歩しているが、それでも谷川将棋における終盤の凄まじさは、筆舌に尽くしがたい。
他の棋士が百メートル走を十秒台で走っていた頃、既に谷川は一人で九秒台で走っていた。
終盤の混戦になってから、相手を詰めるまでの速度計算と自玉の見切り。
谷川将棋の特に終盤の攻撃力は将棋界最高の矛であると言っても過言ではない。
覆される定跡〜羽生時代〜
谷川が覆した終盤の定跡により、その将棋の影響を受けた子どもたちがたくさんいた。というより、現在の将棋指しの端くれであるならば、谷川将棋の恩恵を受けたことが無い将棋指しはまず居ないだろう。
その影響を受けた子どもたちの中から、チャイルドブランド、羽生世代が生まれてきたのだった。
終盤の定跡が覆された後、将棋指しはより先鋭的な勝ち方を目指すようになってきた。
羽生善治をはじめとした羽生世代は(その前のチャイルドブランドもそうだが)、序盤の定跡を壊し始めた。
一見すると無理攻めに見える攻めが実は理にかなった薄氷の攻めというのが出始めたのもこの頃。
羽生世代と一括りにしているが、とにかくスター棋士が多すぎて誰がどうという訳でなく誰も彼もが多くの定跡を覆し、生み出し、そして成長させてきた。
覆される定跡〜コンピュータ時代〜
新しい定跡が生み出されては、数日で死ぬというサイクルを作ったのは羽生世代以降の棋士たちである。
そのサイクルの補助に役立てていたのはコンピュータである。
しかし、まだその時代のコンピュータはツールという側面が主であり、定跡を育てるという側面は無かった。
Bonanzaが登場したのは2005年、そしてそのソースコードが公開されたのが2009年。
ここから、壊された定跡は中盤の定跡であった。
終盤→序盤→中盤という順番で将棋の定跡は破壊されつくされてきた。
若手の台頭
このように定跡が目まぐるしく変わっていく中で、若手のプロは己の限界をつきつけられたり、或いは伸ばしていったりしていた。
その中で頭角を現していたのは渡辺明二冠(2014年12月現在)である。
竜王九連覇という偉業を成し遂げているが、彼の前後の棋士たちでも相当強い棋士が多くいる。
羽生世代に対抗して渡辺世代と言いたいところだが、残念ながら羽生世代に匹敵するほどの活躍をまだ誰もしていないので、渡辺世代というのは存在しない。
さて、ようやく糸谷哲郎竜王の時代へ来た訳なのだが、彼と近い年齢で活躍を見せたことがあるのは広瀬章人八段であろう。一時期王位を取った事があり、糸谷との年齢差も一歳差である。そして、彼らよりも少し若い豊島将之七段あたりが、ここ数年頑張りを見せてタイトル戦に顔を出している。
後は、中村太地六段もか。
1990年前後生まれの彼らが活躍を見せているのは非常に微笑ましい物がある。
尚、1980年前後生まれの棋士はあまり活躍できていない。1970年前後生まれの羽生世代に阻まれ、下から追い上げてきた若手たちに追いぬかれている状況である事は大変残念であるが、勝負の世界は厳しいという事を教えてくれる。
いずれにせよ、今後は1990年前後生まれの子たちが活躍していくのではないかと思われる。
個人的な糸谷将棋についての印象
糸谷将棋の代名詞と言えば右玉であった。
薄い玉ながら、金銀歩といった基本的な駒で大駒を責めて、攻めるという感じの将棋だ。
じっくりと腰を落として相手の心をじっくり折る、そんな感じの将棋になりやすい。
また、一手損角換わりも良く指しているイメージを持っている。
攻撃を受け流してから、カウンターという将棋が多かったような気がする。
糸谷将棋はあまり注目して見ていなかったのだが、そういった印象を持っている。
今後の将棋について
糸谷以降(もっと言えば、渡辺以降)の棋士はネット将棋で鍛えられていると思う。
本で勉強し、将棋道場に足を運び、おじさんたちに鍛えられ……といった昔ながらの将棋指しはほぼ絶滅し、代わりにコンピュータで勉強し、ネットで見知らぬ人に鍛えられる子どもたちが大勢増えていくと思う。
もしかしたら、その時にはコンピュータを軽々と越える大天才が現れるかもしれない。
糸谷世代という言葉は生まれないと個人的には思っていて、むしろ佐々木世代という謎の電波を受けているので、このブログを読んでいる人は佐々木勇気という棋士の事を覚えておいて欲しいと思う。
ちなみに、増田康宏という棋士がつい先日誕生したのだが、現在一番若いプロ棋士だ(なんと17歳!!)
頭ひとつ飛び抜けて強いのは谷川、渡辺の流れに乗っているのかもしれない。
ここまで書いていて凄いアレなのだが、将棋の歴史を見るとめちゃくちゃ強い人→その人より強い世代→その世代より強いめちゃくちゃ強い人という風に一強→多数→一強→多数を繰り返している。
今後もそういった風に歴史は繰り返していくのかもしれないが、いずれにせよ、それを追いかけて行くことが容易に出来る時代に生まれ育っているというのが、実は一番幸せなのではと思っている。
明日のテーマ
まだ決めていないけれど多分、哲学とかの予定。
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