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ラーメン再遊記、10巻までの感想まとめ

ラーメン再遊記まとめ

ラーメン再遊記という漫画がある。ラーメン発見伝、ラーメン才遊記に続く続編であり、全編通して出ているラーメンハゲこと芹沢達也を主人公にしたラーメン漫画である。

インターネット上では、芹沢氏の数々の名言&迷言がネットミーム化していて、漫画は読んだことが無いけれども、なんとなく見たことがあるという人は多いと思う。

自分は、発見伝~再遊記まで通して読んでいるので、この漫画に関する思い入れは人よりも深いつもりだ。 そして、再遊記に関しては、何度も読み返している作品である。繰り返し読むことに耐えうる漫画は非常に珍しく、自分も何でこんなにも何度も読み返しているのか色々考えた。 今回は、その考えをブログにまとめようと思っている。

全体

まず、ラーメン再遊記は、芹沢達也とその周辺の人たちの再生物語である。 各巻で再生する人が変わっていくので、それを記載したいと思う。

第1巻

第1巻ではミドルエイジ・クライシスに陥り掛けていた芹沢達也が再生する物語。やる気が無くなった中で、新世代との対決に気が重くなっていたラーメンハゲが、武田の親父に、イカれたラーメン馬鹿と彼自身のキャラクターそのものズバリを言われ、自分を取り戻す。結果として、苦くて美味しいラーメンという、大分ぶっ飛んだラーメンを作って辛勝する。

その後、次世代筆頭である汐見ゆとりにさらにコンセプトがぶっ飛んだラーメン酔うためのラーメンを作られ、最前線から身を引くことを決意する。

第2巻

第2巻では、「個」を捨てて、「万人の形式」を目指すという、このシリーズ全体を通して度々語られるコンセプトが提示される。最新刊まで、この万人の形式は何度も擦られているが、実際にラーメンという奴は難しくて、そう簡単に万人形式というのは出てこない(当たり前の話だが)。

この巻の再生対象は加納鹿内という、伸び悩んでいるラーメン職人二人。ラーメン職人としての二人の能力を的確に見分け、「クリエイター」「アレンジャー」という2つの方向性を示し、自分の得意な能力を伸ばせ、見事に二人の呪いを解く。ここで、終わっていれば、気持ちの良い話で終わるのだが、性格の悪い芹沢氏は簡単には引っ込まない。続きは3巻で。

第3巻

3巻では冒頭で、クリエイターとしてもアレンジャーとしても、ステージ一つ分上である事を魅せる芹沢達也。お前ホント、イカれたラーメン馬鹿だな。その後、加納の店に足りなかった食事満足度という点をチャーハンと餃子というシンプルなセットでカバーする解決策を提示し、ベジシャキ豚麺堂編は終わりを迎え、次の宇崎編に続く。

第4巻

この巻あたりから、天才職人の再生物語という形式が確立していく。かつて、あまりにも早すぎた”高級路線”の創作ラーメンという自分を全面に出していた宇崎彰正が、自分を捨て、お客さん目線のラーメンを作り、万人の形式へとたどり着くというカタルシスを感じる話になっている。自販機ラーメンの解説もそうだし、宇崎が立ち直っていく話といい、ツンデレラーメンハゲを見ることも出来るので、話の完成度が高い。

後半では板倉編が始まる。かつて流行っていた背脂チャッチャ系はどうなったのかというテーマを軸にしつつ、芹沢、板倉の醜すぎる争い、そして弟子ポジションとしてのグルタ事板倉和文が登場する。このグルタは、いわゆる解説役をやったり、驚き役をやったり、振り回され役をやったりとユーティリティキャラとして扱われる。再遊記編での準主人公役として扱われている。

第5巻

板倉編は結局、背脂チャッチャ系の救い方が、ラーメン屋ではなくチャーハン屋にして再生するというアクロバティックな解決を提示して、終わる。もし、ラーメン屋として再生するなら、家系か二郎系で良いんじゃないかという回答が何度か提示されていて、実際に背脂系のお店はそのどちらかに寄せたほうがずっと長生きできる商売だなと感じてしまった。それほど、家系と二郎系の形式の強さが強調されている。

後半からは赤田編もとい、永友編が始まる。本店は繁盛しているのに、のれん分けしたお店がなぜ流行らないという疑問を提示して、次巻へ続く。

第6巻

これは全体的に、ラーメン業界のマーケティング及び、老舗信仰に対する批判が散りばめられている。読み返してみたら、この永友編、めっちゃ長い。 解決策を提示するのが難しかったのだろう。 ちなみに、老舗信仰に関しては、「名人がいるからこの店は旨い」という状態、すなわちネットミーム化した情報を食わせるの極北を描いてる。実際、こういう傾向はあるかもしれない。 のれん分けしたお店色々だとどうしても本店が持つ魔力というのはある。

ちなみに、余談ではあるが、自分はこの魔力にあまり掛かったことがなく、期待して食べに行った本店の方が、のれん分けしたお店より美味しくなかったという経験を何度かしている。案外、のれん分けしたお店の方が本店以上に真剣に作っていたり、職人の腕が良かったりする事は、ラーメンあるあるなのかもしれない……。

第7巻

永友編は最終的には、新世代を巻き込みつつ、マーケティングで食わせるというなんともアレな解決策を提示。 永友編では、永友氏の再生は行われない。 芹沢と永友の在りし日のやり取りからのビターな終わり方は結構好きである。

後半からは、小宮山編が始まる。これまでは、基本ラーメン職人が物語の核に居たが、フードコンサルタントという枠外からのアプローチはなかなか面白い。 いわゆる素人ラーメンのどこが駄目なのかを描き出す挑戦的なテーマである。

第8巻

序盤で、ラーメンには統一感が必要というのが提示され、素人ラーメンではこの辺がおざなりになりがちだという事が提示される。自分もこの話は身につまされる思いがあり、スープ、麺、タレのバランスに加え、チャーシューなどのトッピングもバランスを考えて作らないとチグハグな味になり、いまいち感が出るというのを何度かやった事がある。 統一感を出すために、麺とスープが程よく絡む必要がある=粘度が必要というのを提示しているが、それ以外にも、トッピングとのバランスも考えなくては行けないので、ラーメンというのはなかなか奥の深い料理であると改めて実感する。

ラーメン勝負の決着としては、やはり非凡なラーメンを作った芹沢が勝つのだが、小宮山としては非凡なラーメンに負けた事よりも、マーケティング面で負けた事が悔しいという結論に至り、自分の軸がラーメン屋側ではなく、フードコンサルタント側にいつの間にか移っていたんだという自覚で物語は閉じる。

後半からは、なんとインスタントラーメン編が始まる。一応、物語上は松下とかいうよく分からん女性がラーメン屋を再生したいという要望で、芹沢が巻き込まれる話ではあるのだが、舞台装置として用意された感が強く、基本、この人周辺のことは考えなくて良い。

第9巻

インスタントラーメン編は、自宅でも再現出来るラーメンなだけに、結構注目出来る内容である。 メジャーどころとして、

  • ZUBAAAN
  • これ絶対うまい奴
  • 麺神

が挙げられている。自分も全部食べてみたが、麺神が一番完成度が高かった。おすすめは、麺神の鶏白湯。何も追加しなくても、普通に旨い。流石明星。

後半では本当に美味しい乾麺のラーメンにスポットが当てられている。稲庭中華そばは、実際の店舗でも提供される程の完成度だとかなんとか。乾麺のラーメンはどこまで戦えるのかというテーマを残しつつも、最後の最後で原田編に突入する。

第10巻

ガチの天才ラーメン職人原田正次が登場する。基本、再遊記は後出し天才ラーメン職人の宝庫なので、いくらでも天才を生やすことが出来る。ちなみに、原田が作ったラーメンは色々と発想が飛んでいて、汐見に近いタイプのラーメン職人。このレベルのラーメンを1990年代に出したというのは大分無理があるだろと思いつつも、ラーメンのもう一つの方向性「可能性」に焦点を当てている。

ラーメンの方向性には2種類あり、理想のラーメンラーメンの可能性。相反する2つがラーメンにおいては大事だという事が強調されている。 この点、ラーメン発見伝の主人公藤本が目指していたのが「理想のラーメン」であり、ラーメン才遊記の主人公汐見が目指していたのが「ラーメンの可能性」だった事を考えると、芹沢vs原田は、藤本vs汐見と読み替えることが出来る。

そして、発見伝~再遊記から描かれ続けているように、「理想のラーメン」側が常に「ラーメンの可能性」側を刺激するという構図がずっと崩れていない。つまり、今回の原田編も同じ結論に至ると思っている。

理想のラーメンが、ラーメンの可能性を広げていく。

そういう話になるのではなかろうか。ちなみに、第10巻が最新刊であり、そこから先の展開は全く知らない。続きが早く読みたい。

書き終えて

色々書き終えて思ったが、ラーメン再遊記は「ラーメンはどこへ行くのか」を徹底的に描いている作品だと改めて感じた。原作者なりに、答えを模索しつつ、それでもまだ答えは出ていない、そんな気がしている。

ラーメンも今では随分と地位が上がり、ミシュランガイドに選ばれるお店も出てくるようになった。1000円の壁もだんだんと破れつつあり、間違いなく今ターニングポイントにいるという実感がある。ラーメンという食べ物は、多くの人を魅了している。他ならぬ、僕自身をも。

ラーメンを趣味で作る身としても、このラーメン再遊記がどこに着地するのか、とても楽しみである。前作の才遊記は、11巻で完結したが、再遊記は11巻では終わらない雰囲気がある。それだけ、話も広げやすいのかもしれない。無限天才ラーメン職人の後出しにさえ目をつぶれば、この漫画は本当に面白いので、まだ未読の方はぜひ目を通して読んで欲しい。

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