探偵小説の黒い水脈を辿る
秋の夜長を楽しんでいるでしょうか。1ヶ月ぶりぐらいのArc Cosineです。実はこちらのブログ以外のブログは適当に更新する豆さを発揮していたのですが、如何せん最近ネタが無くてこっちの更新が出来ていない状態です。
という書き出しをしてから、1ヶ月近くたった文章がこちらから始まります。
酷い。
その後、風邪を引いて頭が溶けそうになりながら、これを仕上げました。かなりの長文&Amazonリンク多めですが、この記事を通して多くのミステリを知って頂ければと思います。
探偵小説の黒い水脈とは
黒い水脈についてつらつらと書いてきます。
これは、かの埴谷雄高が、「ドグラ・マグラ」「黒死館殺人事件」と並べて「虚無への供物」を「黒い水脈」と呼び出したのが始まりだったそうです。
つまり、黒い水脈は
- ドグラ・マグラ
- 黒死館殺人事件
- 虚無への供物
この三冊の事を指している言葉でした。
同時に、アンチミステリーという言葉も出てきましたが、これは後述します。
ミステリファンである僕は、古典と言っても過言でないこれらのミステリを読み、自分のミステリ観を完膚なきまでに叩き変えられました。
それほど、この黒い水脈の三冊は群を抜いて優れていて、同時に群を抜いて変わっていました。
変革であり、且つ本格でもあるそういう本です。
ミステリの枠をどれもこれも全て超越している、そういう三冊です。
ただ、そこに繋がるまでの本があり、それらを継いだ本があり、自分なりに黒い水脈について書きたいと思い、ここに書き綴る次第です。
ちなみに、探偵小説のと前置きしている通り、ミステリというよりはその少し前の探偵小説と呼ばれる小説が多く出てきます。
面倒なので、ミステリとひとくくりにしていますが、脳内で適宜探偵小説として変換してください。
黒い水脈の下敷きとも言えるグリーン家殺人事件
黒い水脈の下敷きになっていると言っても過言でないのは、S・S・ヴァン=ダインのグリーン家殺人事件です。
いわゆる、「館物」の原点でもあり、「衒学趣味」の原点でもあります。
これが、黒い水脈の一つ、黒死館殺人事件に強い影響を与えているのは、火を見るより明らかです。
犯罪者研究書がつらつら記載されているのが特に印象深い作品です。
内容はシンプルで古典的な推理小説ではあるのですが、本格推理小説の骨格をわずかながら保った作品とも言えるでしょう。
黒い水脈の水源、「黒死館殺人事件」
黒い水脈の水源とも言うべき作品は、小栗虫太郎の黒死館殺人事件でしょう。
先にも書いたとおり、この作品はグリーン家殺人事件を下書きとしているので、グリーン家殺人事件を読んだことがある人は、黒死館殺人事件の流れがそれに沿って描かれていることにすぐに気がつくはずです。
ですが、大筋には沿いつつも、黒死館は大きく逸れていきます。
あまりにも異常で、異様で、複雑な衒学が次から次へと生み出され、書きだされていき、果たしてどこからどこまでが本当で、どこからどこまでが嘘なのかうやむやになっていきます。
最終的には事件そのものはどうでも良くなり、法水麟太郎が語る薀蓄そのものがどこまで本当なのかという点が1番の謎になっていきます。
これは、1934年発行で80年以上前に書かれた作品である事が信じられません。
悪趣味とも言うべき衒学趣味をここまで書き散らし、後世に名を残したのは、この作品の持つエネルギーというか狂気というべきか。
黒い水脈について知りたいと思っても、最初に読むことをあまりお薦め出来ない作品の一つです。
現在Kindleで無料で読めますし、青空文庫でも読むことが出来ます。
もう一つの黒い水脈の水源、「ドグラ・マグラ」
もう一つの黒い水脈の水源とも言えるのは、夢野久作のドグラ・マグラでしょう。
その凝った構成、世界観の異様性、あらゆる箇所に巻きちらされる衒学趣味、そして信用出来ない語り手。
1935年、つまり今から80年も前にこのレヴェルの作品が書かれていたと考えると寒気がします。
この作品も途中から事件の事はどうでも良くなって、果たして自分が読んでいるこの本は何を訴えたいのだろうかという物語そのものが持つ力に巻き込まれる感覚を味わいます。
途中で出てくるチャカポコチャカポコも苦痛ですし、精神病院の本質とか、死美人の腐敗画像とか狂気の沙汰ですし、脳みそに関するトンでも理論などなど頭をぶん殴られる内容ばかりでこれを読んだら狂気を宿すと言われてしまうのも頷ける気がします。
そして、極めつけは話中でのループ構造+最後に最初にぶうううううんとループする物語構成。後の作品に色濃く影響を残す一つの要素です。
この作品も、黒い水脈について知りたいと思っても、最初に読むことをあまりお薦め出来ない作品の一つです。
こちらも現在Kindleで無料で読めますし、青空文庫でも読むことが出来ます。
黒い水脈の本流、「虚無への供物」
上記の二作品に影響を受けて、世に出されたのが中井英夫の虚無への供物です。
ドグラ・マグラの構成と、黒死館殺人事件の衒学を混ぜあわせ、ミステリ知識を熟成し、醸造した天帝への供物。
読みやすさは格段に上がっているにも関わらず、小説としては破綻寸前まで練りこまれているのがその特徴。
ドグラ・マグラと黒死館殺人事件という方向性の違う奇書を見事に混ぜあわせて昇華させたこの作品の登場により、前述した、「アンチミステリー」と「黒い水脈」という言葉が世に産み落とされたのは、あまりにも有名な話。
ミステリ知識をはじめとして、多くの薀蓄をばらまき、ミステリでお決まりの身勝手な推理合戦を行い、最後の最後でひっくり返すのはミステリ的でありながら、あまりにもミステリらしくない終わり方になっています。
ゆえに、「アンチミステリー」と呼ばれているのも頷けます。
中井英夫は、最上級のミステリを書きたかったのでしょう。しかしながら、書き進める内に自分が書きたい物に対する強烈な拒絶反応が出てしまったんだと思います。
ミステリが、非論理と論理を融合させようとした読み物であるからかもしれません。
人は、論理と非論理が対立した時、論理側に倒れる人と非論理に倒れる人がいます。
中井英夫は非論理に倒れる人でした。それ故に、論理的な解決をしたかったのだと思います。
虚無への供物は、中井英夫の魂の叫びをもってカーテンフォールします。
それを読み終わった時、この人はなんてミステリを愛しながらも、ミステリでないこの本を書いてしまった事を苦悩しながら醸造してしまったのだろうと思いました。
「小説は天帝に捧げる供物一行たりとも腐っていてはならない」
虚無への供物の有名な一文です。
これが、中井英夫の真意全てなのでしょう。
黒い水脈を辿るモノたち
以下、黒い水脈をたどり、自ら或いは他薦ながら「奇書」と呼ばれている本を挙げていきます。
異端児、匣の中の失楽
竹本健治によって書かれた匣の中の失楽は、その特徴的な物語構造と、現代知識をベースにした衒学趣味により、黒い水脈を見事に受け継いだ作品です。
個人的には、ドグラ・マグラの特色を色濃く受け継いだ作品だと思っています。
この特徴的な物語構造は、小説でしか実現しえない物語と言っても過言ではないでしょう。
それほど、これは異端児であり、本格ではなく変格と自信を持って言えるほどの複雑な作りになっています。
造語騙り、天帝のはしたなき果実
古野まほろ氏のデビュー作であり、自ら奇書と名乗るほどの変わった作品。
その文中には多くの造語や当て字がふんだんに使われていて、読む人をぎょっとさせる内容になっています。
黒い水脈を読み下してきた人にとっては特に違和感なく読めてしまうあたり、読者を選ぶ本ではありますが、その実、当て字類はデコレーションとして使われている事が物語を読み進めていくと分かります。
最後の解決部分は流石のトンでも落ちで、本格というより、やはり変格だと言わざるを得ないでしょう。
時代が進めば、これももしかしたら奇書と呼ばれるようになるかもしれません。
その手があったか、奇偶
山口雅也氏によって、「奇書」として世に出された作品。
はっきり言って、これも変格的で、ミステリである事を自ら否定しているミステリであり、虚無への供物の影響を色濃く受け継いだ書であります。
メイントリック部分は、説得力というより、トンデモで、「そんな馬鹿な」とつぶやいてしまうでしょう。
自ら奇書と名乗るだけあり、本格ミステリが好きって人が読んだら拒絶反応が出てしまう(敢えてそうしてるんでしょうけれども)作品だと思います。
奇書を書いてしまった、綺想宮殺人事件
芦辺拓氏によって、上梓された「奇書」の一つ。
芦辺作品にしては変な感じがする出だしから、本編の進み具合
解決編にてその全てが明らかになりますが、やっていることは紛うことなきアンチミステリー。
本人としては恐らくそうするつもりは無かったのでしょうが、本格の枠組みを超えたミステリを「書いてしまった」というのが実情では無いでしょうか。
黒死館殺人事件のパロディといえば可愛いでしょうかね。
元祖SFミステリ、生ける屍の死
こちらは山口雅也氏のデビュー作であり、奇書とは呼ばれていませんが、もし五冊目を挙げろと言われたら、僕はこれを推します。
何しろ「死体が生き返る」世界ですからね。めちゃくちゃですよ。
SFミステリの元祖、なのかもしれません。最も、先に挙げた黒い水脈がSFミステリの元祖中の元祖なのかもしれないので、なんとも言えませんが……。
解決方法も大変「アンチミステリー」で、僕好みな解決策だと言っておきましょう。
輝きでた新星、折れた竜骨&七回死んだ男
この二冊は奇書と呼べないですが、挙げておきたい二冊なので、書きます。
折れた竜骨は、米澤穂信氏のファンタジー本格ミステリという新ジャンルを開拓した作品。
しっかりと本格しているものの、ファンタジー要素を「ルール」に組み込んでいるあたりに、「奇書」っぽさがあります。
あとがきを読むと、「七回死んだ男」と「生ける屍の死」の影響を強く受けていることを作者が述べているのも納得です。
そして、西澤保彦氏の七回死んだ男は、SFミステリとして、生ける屍の死と並んで最高峰の作品なので、読むことをお薦めします。
こちらも、「とある設定」を「ルール」として組み込んでしっかりと本格として構成されている傑作です。
最も、奇書と呼べるほど狂っていないのがある意味残念な所です。
折れた竜骨も、「奇書」と呼べるほどのパワーが無いのですが、ファンタジーミステリとしてこれより素晴らしい作品を知らないので、ここに入れました。
詳しい方良い作品を教えて下さい←ぉぃ。
後継三冊
ここから、黒い水脈の後継作を書き連ねたいと思います。
要するに、僕が好きな作品の羅列です。
敢えて名付けるなら、 新・黒い水脈
- 霧越邸殺人事件
- 夏と冬の協奏曲
- バイバイ、エンジェル
黒死館殺人事件の後継者、霧越邸殺人事件
綾辻行人氏と言えば、「十角館の殺人」か「Another」でしょうかね。
とは言え、かなり初期に記された霧越邸殺人事件は、上記二冊とは別格の奇書に属すると僕は判断します。
綾辻氏は、ミステリやホラーというイメージが強い人がいるかもしれませんが、本質は「幻視」小説家だと思っています。
そのアヤツジテイストが存分に出てている霧越邸殺人事件は、幻視小説であり、ミステリであり、アンチミステリーであり、黒死館殺人事件と虚無への供物を綺麗に受け継いだ稀有な作品だと思っています。
最も、読み手をかなり選ぶ作品ではありますが……。
ドグラ・マグラの後継者、夏と冬の協奏曲
麻耶雄嵩氏と言えば、「鴉」か「隻眼の少女」が有名でしょうかね。
他にも、翼ある闇とか蛍とか貴族探偵とか木製の王子とかまあ、要するに僕が好きな作家の一人で、殆どの著作を読んでいます。
全部めちゃくちゃひねくれて書かれているので、普通の人には全然楽しめない内容になっているのが良いですね(褒め言葉)
鴉と隻眼の少女は大変分かりやすい内容なので、割りと一般的ですね。
ユーモア小説として読みたいならば貴族探偵シリーズあたりをお薦めします。
その中でも、異端を放つのは夏と冬の協奏曲ですね。デビュー作の翼ある闇は黒死館殺人事件パロディで、綺想宮殺人事件をイメージさせる感じですが、その実、虚無への供物へのオマージュだったりするので(ネタバレ)、そっちは割りと奇書っぽさがありません。
この夏と冬の協奏曲に描かれている狂気はドグラ・マグラに通じるものがあります。
話中のループ構造(ネタバレ)が、ドグラ・マグラを彷彿とさせますが、その真実を推理した時の脅威というか狂気というべきか、その辺にドグラ・マグラの影響を感じます。
もちろん、物語の解決部分もぶっ飛んでいて、素直に物語を読んでいると「それは反則だろ!!」と叫ぶこと間違いなし。
この辺の不条理さを含めて、ドグラ・マグラの後継者でしょう。
作家本人は否定するかもしれないが、虚無への供物の後継者、バイバイ、エンジェル
笠井潔の矢吹駆シリーズの第一作。
これが虚無への供物の後継と言われた多くの人に叩かれそうですが、これ以外に虚無への供物の「精神」を受け継いでいる作品は無いと思うんですよ。
ミステリを通して、ミステリ以外の物を伝えようとするその精神はまさしく虚無への供物的アプローチ。
もしかしたら、今後この部分は別の後継者が出てくるかもしれないけれど、現状ではこの作品が最適という結論です。
最後に
とまあ、ここまでつらつらと書いてきましたが、ミステリの本格よりも変格が好きな僕の好みをただ書き連ねた記事になりました。たまにはこういう変格物を読んで、秋の夜長をお楽しみください。
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