2010年10月22日金曜日

高専にはアホしかいない.

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ネタです

高専っていうのはつまらないところだ.

アホしかいない.

学生も骨がないのばかりだし, 本当にただの学生である. それは違う. 研究室の学生は教官と対等である. それが研究というものだ. 授業においてはそうではないかも知れない. しかし, 研究室に入ったからには独立の精神を持って自分の意志で研究テーマを選択し実行しなければならない. こんな当たり前のことがほとんど行われていない. というか皆無である.

これではどこぞの三流大学とどう違うのだ. 高専生の気概を持つべきである. おれたちはエリートなのだという意識を持ち, 教官のいうことにはまず逆らうことから思考すべきである. なんでもはいはいと言うことを聞いて, それではダメだ. 大体において, なんでもかんでも正しいアドバイスが出来る人間が高専の教官なんかやってると思うのか?

おれたちは, これから日本を引っ張っていく人材にならなければいけない. その時におれたちにアドバイスをくれる人間はいない. 常に自分たちで思考し, みんなを引っ張っていく必要がある. それは三流大学の学生との違いだ. 彼らは教官のいうことを大人しく聞くことが研究であるが, おれたちは教官と対等に意見することが研究だ. これが出来なければ, 一体どの世界でリーダーになれるというのだ.

もちろん, 研究能力において教官というのは多少は優れてるのだろう. 特に論文の書き方についてはまぁまぁ従うべきだ. しかし研究の内容については, とことん言い争うべきだ. 納得行かないことがあればとことん反論すべきだ. はい分かりましたはい分かりましたと連打するような学生であってはいけない. 研究テーマがつまらんと思ったらとことん拒否すべきだし, 教員の無能さを見抜けばとことん指摘して攻撃すべきだ. 場合によっては精神的に潰しても問題ない. というか, おれは教員というものが向上していくとすればそれは学生との対話の中でしかないと思っている. 彼らにとって, 学生と対話したことは生涯における価値なのだ. 学生と対話することを拒否するような教員は教員失格であろう. 一体何のために生きているのか. そんなに教官であることが誇らしいのであれば, おでこに私は高専の教官ですとマジックで書いて闊歩してみなさい.

日本人の教官にすら意見出来ない人間が, どうして外国人相手に対等に勝負が出来るのだ. もっと骨のある高専生になろう. エリートとしての意識を高く持とう. 気高く生きよう. おれたちがダメならば世界に負けてしまうんだ. おれたちが戦うんだという気概を持った「高専生」になろう.

元ネタ

京大にはアホしかいない. - とある電気系出身者のいんでっくす

共感した部分

タイトルと二行目だけ。
以降は高専には当てはまったり当てはまらなかったりな感じ。
真面目な人だったら心がぐさぐさ痛むのだろうけれど、如何せん、高専生だからなー。
笑っておしまいって落ちが見えてしょーがない。
この人が定義するアホと僕が定義するアホの意味合いが違うので、しょーもないけれど、比較的近い概念で当てはめるならば、僕の中での阿呆はこの人のアホと似ているのかもしれない。
似ていないのかもしれない。

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