死ねばいいのにを読みました
読書熱が再熱し、京極夏彦の「死ねばいいのに」を読みました。
ストーリーはこんな感じです。ある派遣社員OLが殺され、その関係者を若い男が尋ねてそのOLの事を聞き出す。ただそれだけのストーリーです。
イライラする人続出
読書メーターの感想ありコメントを全部読んだ感じなのですが、登場人物全てにイライラする人が多かったなぁと感じました。確かに、登場人物全て癖があります。一部の人はその癖の強さに「人間が書けていない」というコメントをしていましたが、それは単に読解力が無いだけだと思います。
京極氏の狙いとして、そういう人物をわざと描いているというのが、彼の作品を何作も読んでいる人なら気がつくはず。かなりの異端作です。
この作品をどのような立場に立って読むかで、この作品を読んでイライラするかしないかが別れると思います。
イライラする人は、主人公ケンヤの口調や論調に嫌気が差したり、訪ね歩く人物が自分語りしかしない姿に苛立ちを感じるのでしょう。それは裏を返すならば自分自身を投影してるが故の自己嫌悪の表れだと僕は思います。
それほど、ここに出てくる人物は現代人を的確に投影しています。なので、自分自身を客観的に見てしまうのでしょう。
最も、そうやって苛立ちを募らせることでケンヤの決めゼリフである「死ねばいいのに」を際立たせようという狙いも見え見えですがね
最大の謎
読んでる途中で犯人が分かってしまったー。というコメントも散見されました。フーダニットの小説として読むならば、そう感じてしまうでしょう。でも、この小説の最大のミステリーは何かというと、殺された「アサミ」です。
話の中心には居ませんがその外側に常に存在し続け、「関係者」にそれぞれ影響を与えてるような与えてないようなそんな存在。もちろん、関係者が自分語りしかしないのでアサミの存在は希薄になっているのですが、そのせいで、さらに不気味さが増し加わっています。
ケンヤから見たアサミは幸せな女でした。関係者からすると、都合の良い女か鼻につく女のいずれかでした。
この辺が相当なミステリーになっていると思います。
ケンヤの視点で考える。
最後の2ページで描かれているように、ケンヤはアサミを絞殺しながら恐怖を感じます。喜びながら死んでいく女。幸せだから死を喜んで受け入れる。そんな不気味な存在として彼女は突如浮かび上がってきます。
これは怖い。ケンヤの中では彼女が抵抗すると思ったし、絞殺してる間色々な感情が混ざって混乱していたと思います。アサミはそれまでも色々と理不尽な行為を他人から受けていましたが、それを理不尽だとは一切考えていなかった。感じていなかった。この事から、ある時点でアサミは壊れていたと推察されます。どの時点で壊れたのかどうかわかりませんが、見た目上には普通に見えても彼女自身は既に瓦解していて生きていてもいなくてもどうでも良い状態になっていたのだと考えられます。だから、死ぬことは怖いことでは無かったのでしょう。
不幸なのはケンヤです。そういうぶっ壊れた女性に関わりを持ってしまい、しかもその女性を殺してしまったという罪悪感。殺した相手が抵抗の意思を見せたり何かするならばケンヤは壊れることはなかったでしょう。
ケンヤは、アサミを絞め殺してしまった瞬間壊れてしまったのです。
そうして、ケンヤは自分に問うわけです「自分が殺した女は何者なのだろう。そもそも、自分は『何』を殺してしまったのか。それは『殺し』なのか」
彼にとってはそれに対する答えが出せずについに、関係者を歩きまわるという行為に至るわけです。
しかも、相当積極的に。ケンヤは、アサミによって壊されてしまったので、アサミの関係者から壊れた自分を取り戻そうとする訳です。
ところが、アサミの関係者はケンヤを治してくれない。アサミが知りたいのにアサミの事は一切語らず自分のことばかり語る。
だから、ケンヤは「死ねばいいのに」という訳です。
何度も何度も相手に言いながら、自分にも言い聞かせていたのです。
アサミの事を知れば知るほど彼女が何者で何だったのかケンヤには理解出来なかったでしょう。
それほどアサミの存在は希薄なのです。
憑き物落とし
百鬼夜行シリーズでは、京極堂が憑き物落としをします。
何を落とすのかというと、関係者(及び読者)の頭に刻み込まれた謎を謎ではなくならせるのです。
そのために、京極堂は多くの詭弁を使いますし、時には事実をねじ曲げた真実を提示したりします。
それが京極堂のやり方です。
一方、この物語のケンヤはそういったことができません。読む人から見れば憑き物落としをしているかのように思えますが、彼の場合意図的にしてるのではなく、結果としてそうなっただけだったりします。
関係者の心のなかを暴き、それをそのまま言葉にするケンヤはさながら写りの悪い鏡のようです。
そうしてケンヤ自身は多くの人を写せば写すほど輝きが鈍くなってしまうのです。
ケンヤの頭に刻み込まれた謎は募っていくのです。
結局、アサミが何者なのか分からなかった。じゃあ、それを殺した自分は何なのか。そもそも、殺人だったのかどうか。
ケンヤは自分が人間である事を確かめたかった訳です。でも、それをちゃんと伝えてくれる人が居なかった。
そうして、最後の2行で彼はようやく憑き物が落とされる訳です。
自分が殺人「者」であり、「人」殺しだと。
ケンヤは人であり、アサミも人であった、と。
それでも残るミステリー
ケンヤの憑き物は落とされましたが、読者には1つだけ残された憑き物があります。
それはアサミです。
人によっては天使だとか女神だとか言っていますが、どうも、僕にはそういう類の綺麗なものには見えません。
正直わけの分からない恐ろしいものというのが僕の中の印象です。
彼女が壊れていたという仮説を僕はさらっと書きましたが、それが正しいかどうか正直わかりません。
それほど、アサミ自身は謎です。
彼女の視点で描かれる物語が出ない限りこの憑き物はずっと残り続けると思います。
問題なのは、それにどれだけの人が気がつくか、ですかね。
タイトルのインパクトと、登場人物のウザさで多くの人は満足するかもしれませんが、本を読み込んでいる人ほど、この謎がくっきりと残ってしまいます。
再三再四書いていますが、これが本書の最大の「ミステリー」です。
この感想文を読んで、それは違うだろーという人は是非是非自説を披露してください。
長文を読んでくださり、ありがとうございました。
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