2008年9月13日土曜日

なぜVimで文章を書くのか

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Vimで文章を書くようになったのは割と最近の事だ。
それまではEmEditorや秀丸やサクラエディタといったごく普通のWindowsエディタを使っていた。

Vimの良い点は何かというと、WindowsでもLinuxでも使えるという点だろう。
だが、自分の場合はなんと言ってもHJKLでカーソル移動という幸せがその最大理由だ。
最も、HHK Proを購入したのがそのきっかけだったのだが。
お陰で、最近は何でもかんでもVim化しないと作業効率が落ちてしまうまでになった。
いや、違う。
それまでの作業スピードが遅すぎたのだ。
今はいわゆる普通のスピードになった。
多分学習ライン的には急上昇するちょい手前くらいか、もう既にあがりはじめているかしているに違いない。
ホームポジションから指を必要以上にずらさない事の重要性が実際に使い込む事で理解できるというのがVimの良いところだ。
(恐らく、Emacsもそうなのだろう)

どちらも、直感的な作業をするには向いていない。
むしろ脳内であれもこれもと考えながらやるので、最初は作業効率が低くてしょうがない。
しかし、そのうち考えずに色んな操作が出来るようになる。
そうすると、その多機能さが作業効率をぐんとあげるのに一役買うのである。
そうして、作業効率を上げることで余った時間を学習や休憩に使う事が出来、最終的にさらに効率がアップして楽になる
はずなのだが、実際にはもっと楽になれないかと別の方法を模索したり考えたりするので、結局忙しさだけは無駄に上がってくる。
ただ、過去と違う点は明らかに以前の自分のこなしていたスピード以上で仕事をこなせるようになっている事を感じられる。

それは何故か。
理由は分からないが、少なくとも脳内での処理速度が倍以上になっている事が一つの理由のような気がする。
というのも、Vim操作を指に覚えさせるまでかなり頭脳を使っているからだ。
僕は典型的な駄目人間タイプなので、兎に角楽が出来るならどんな苦労も厭わないという矛盾した思考の持ち主だ。
したがって、楽になるためにはいっぱい勉強をする。
そうると、周りの人から見るとすっごい苦労しているように見えるが、実際にはどんどん手を抜く方法を覚えているだけなので、褒められたものではない事が明らかになる。
とここまで駄文を書き散らしたところで、自分の能力の低さ(根本的な)からは脱却できていないので、なんとか脱却したいと思っている。
そのうち脱却できるだろうと言う希望的観測ではなく、自らの意思と能力の向上によってクリアしたいと思う。
そうすれば、一つの自信になるだろうし。

いま、Vimを使っているのは楽をするため。
これからもVimを使うのは楽をするため。
楽になることは良いことだと思う。
ただ、その為に学習をやめたら、楽にはならないという信念をいつまでも持ち続けたい。
それは他人には苦労に見えるかもしれないが、本人は全く苦労と感じていない。
とにかく楽になりたいという駄目人間なのだから。

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