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8月の最終日にブログを投稿するクズ

正確な知識 久々のブログでございます。 最近パ○ドラブログばっかり更新していて、こっちを放置するという生粋のクズです。 流石に8月に何もブログ書かないのヤバイだろー。っていう謎の意識の高さから、最近ちょっと考えていた事をずらずらっと書き散らします。 チラシの裏に書かれたメモ並に特に価値はございません。 教育システムについて 知識というのは、多ければ多いほどベネ(良し)というのが、僕の持論です。 とはいえ、他人にはそれを要求しないというダブルスタンダードよろしくふざけてるのかお前って言われる程度には矛盾した思考回路ではあります。 基本的に、この日本においてある程度の知識というのは義務教育制度を経由して程々に教えられます。 とはいえ、その「ある程度の知識」の範囲が適当すぎるというのは多くの方が認識している通りです。 知らなくても良いことを何で覚えなくちゃいけないのかと学生時代に思った方は数多くいらっしゃるのではないでしょうか。 そして、その謎の知識を抱えたまま社会に放り出されて、結局勤め先で新たな知識を習得してようやく社会に溶け込むという割と効率の悪い教育制度がまかり通っています。 この教育制度、確かに効率は悪いのですが、本人に何を学びたいかという選択肢を増やすという意味では非常に優れており、それを早い段階で見出すことが出来ればそのジャンルへ邁進できるという構造になっているので、結局のところ、本人及び親がどう選択していくかという所に依存しているのですが、如何せんそういう構造だって事を理解していない人間が殆どなので、あまり動く動いていないというのが現状です。 教育を施す人は、基本的に他人が自分と同レベルの意識を持っているみたいな謎の思い込みをそろそろ捨てたほうが良いのではないでしょうかね。 閑話休題。 知識に関して、自分がどれほど知っているのかというのは大変大切なことではあるのですが、自分がどれほど知らないのかを知っているのは、どれほど知っているのかと同じくらい大切なことです。 俗に言う、「無知の知」です。 自分が知らない事に関しては、いくつかの選択肢があります。 知らないことを認め、それについてきちんと学習する 知らないことを認め、それを知っている人に頼る 知らないことを認め、それに関して関わらない 知らない