2011年11月5日土曜日

こんなに若者が不幸な時代はない

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初めに

こんなに若者が幸福な時代はない
上記エントリをお読みください。
上記エントリに同意出来る方は、このエントリを読んでもしょうがないので、お布団をもふもふする作業に戻ったり、ニコニコ動画を眺めるというお仕事に戻ってください。

幸福の定義

まず、幸福の定義ですが、上記エントリでは下記のように定義されています。
「幸福」というのは相対的なもので、私たちが「今は不幸だ」とか「生活に満足していない」と感じるのは、「将来はより幸福になれる」と思っているからだ。これからの人生に「希望」があるひとにとっては、今の人生を「不幸」として否定しても、自分を全否定したことにはならない。
だが、もはや自分がこれ以上幸福にはなれないと思えば、ひとは「今の生活が幸福だ」とこたえるしかない。すなわち、若者の幸福度(生活満足度)が急上昇しているのは、2000年以降、彼らが将来に「希望」を持てなくなったことの裏返しなのだ……。
僕は、これがとても「幸福」だとは思えません。
僕の感じ方としては、将来に対する希望がない=今が幸せというのは、ノットイコールなのです。

むしろ、将来に希望がある方が幸せだと思います。
仮に、今が苦しかったとしても、将来更に良くなる可能性があるならば、そこに視線を合わせることができ、今の苦しさを耐えることができます。
今、苦しくないとして、将来、より良い世界が来ることを考えるならば、ますます頑張りたいという気持になります。

三十間近の自分を含め、同年代が感じているのは恐らく、現状に満足してるというより、未来への希望が見えないから色々諦めているという感覚が正しいと思います。
ある辞書では、幸福を
満ち足りていること。不平や不満がなく、たのしいこと。また、そのさま。しあわせ。 と定義しています。
将来を諦めている状態が本当に「満ち」ていて、「足り」ているのでしょうか。
将来が真っ暗なのに、不満が無いのでしょうか。
それは楽しいのでしょうか。

どう考えても、それは不幸だと思います。

続かなければ意味が無い

幸福になりたいというのは、人として持つ普通の感情だと僕は思います。
しかしながら、幸福な状態に持っていくのは本当に難しい事ですし、誰もが出来ることではないとも思っています。
短い人生の中で、振り返ってみると、あの時は幸福だったなぁと思い返す時がありますが、それで満足できるほど、僕は歳をとっていません。
僕は、これから先もっと幸せになれるはずですし、その状態がずっと続いて欲しいと思います。
幸せな状態がずっと続く事、それが本当の幸福だと思っています。

こんなに若者が不幸な時代はない

今、冷静に自分の周りの状況を考えてみますと、それが不可能に近いことも薄々感じています。
こんなに若者が不幸な時代はない。
実際そう感じます。
だからこそ、僕は幸せを探し続けたいと思います。
そういう目標があり、見えているという次点で僕はずっとずっと、幸せです。
長文にお付き合いいただき、ありがとうございました。

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