2012年8月20日月曜日

努力と才能と成功

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努力という言葉の意味をちゃんと知らなかったので辞書を調べたら
ある目的のために力を尽くして励むこと
と定義されていた。多分、他の定義もあると思うけれども、前提はこれで考えていこうと思う。

これは全く僕個人の偏見である可能性が高いのだが、才能ある人は努力しないというイメージを持ってる人が多いと思っている。
努力と才能には相関関係が無いのだろうか。そうではない。
才能ある人でも努力はしている。言葉の定義通り、目的を達成する為に力を尽くして励んでいるからだ。
逆にそれを殆どしないでショートカットしたかのような人をある人は天才と呼んでいるが、多少の個人差があるとはいえ、すべからく殆どの人はその状態に到達するまで何かしらの「努力」をしている。
それが見えないだけというのはよくある話しである。
もちろん、世の中には分かりやすい「ものすごく頑張って時間かけて試行錯誤を繰り返して身につけました」的な”努力”をしないであっさりとやっちゃう人がいる。
それを才能と呼ぶのははっきり言うとお門違いだ。

どうも、人間というのは自分にとって都合の良い部分だけを見て人を評価したいという習性がある気がしてしょうがない。

自分が知らない所でその人がどうしてたかなんて結局の所その人自身かそれを見ていた人しか知らないし、それだけで才能の有無を適当に評価しようという習慣は実に醜悪であると思う。

成功まで

さて、そのような努力を積み重ねて成功する人と失敗する人がいる。
とはいえ、成功と失敗の定義は人様々であり、外側から見て「失敗」でも内側から見れば「成功」のケースはたくさんある。
結局の所外野の評価はその人自身に対する相対的な評価であり、それだけで全てが決まる訳ではない。自分自身がどこまで納得するかどうかが、成功と失敗を分ける境界線になると僕は思っている。
この「他人評価絶対主義」的な思考が、僕は良くないと常々思っている。
僕自身その影響を受けていないと言ったら嘘になるが、その様な評価基準は広く受け入れられているという事実を考えると自分自身でもバランスの良い評価する事が難しいと感じる。

努力をする価値

努力をする価値は果たしてあるのだろうか。結論から言えばある。
問題は、それに価値を生み出すためには自分自身がその努力をどうやって評価するのかという点だ。
他人からの評価と自分で自分をどう評価するのか。
『どれだけ自分がやって来たことを自分で褒められるか』
それが苦手な人が多くなっているのではないかと思っている。
是非、それを得意になって欲しいと思う。
以上、駄文終わり。

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