2011年4月2日土曜日

普通と特別

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ふと思いついた事です。
多くの人は二種類の相反する感情を持っていると僕は思います。
それは、
自分は「普通」だ

自分は「特別」だ
の二つです。
もちろん、そんな事を欠片も思ったことない人は居ると思いますが、この相反する感情は何度も湧き上がってはお互いに打ち消し合っているのではないでしょうか。
自分が特別であると感じたい、思いたいという欲求は誰にでもあると僕は思います。
しかし、同時にそのような「異端」な状態は避けたいという感情も同時に出てきます。
どちらを優先するかはその人の人生観にかなり左右されますが、僕が観察する限り、かなりの人が自分は異端でではない、つまり「特別」ではなく「普通」である事を望んでいる傾向が強いと感じています。
なぜ、そんなにも普通を求めるのでしょうか。

まず、この日本という土壌というか風土の影響があると思います。
和を以て貴しと為すという言葉があるくらい、日本は「和」を重視する傾向があります。
これは日本独特の雰囲気だと思います。

そして、少なからずともかなりの人はその風土の影響を受け自分が普通であろうと「努力」してるきがします。


このような文章を僕が書いている時点で皆様気付かれていると思いますが、僕は自分が普通というより異端であると思い込む傾向が強い人間です。
というよりも自分が常に特別でありたいと願い続けてもいます。
とはいえ、僕自身、短い人生経験を通して自分が特別というよりかはやや異端なだけで、普通の範疇に十分収まる矮小な人間であることは理解しています。

だからこそ、余計に自分が「特別」であるという事を意識したいと思います。

というよりは、そもそも普通な人なんぞどこにも居ないというのが今回の主旨です。
誰も彼もが必ず「特別」な何かを持っています。そして、それが「普通」だと僕は認識しています。

英語的な表現をするなら誰しにもギフテッドがあると思っています。
それを自覚してるかしてないかというのはありますが、まあ、大抵はギフテッドを自覚できないのが普通だと思います。
その人の特別性、つまりスペシャリティは、他人というフィルタを通すことで初めて明らかになると僕は思っています。
なので、自分が特別だと理解出来ないのはしょうが無いのかなぁと僕は思います。
実際、僕自身どの辺が特別なのか欠片も理解していません。
せいぜい、他人よりも一部の興味を持つ分野に対して異常にのめり込むという特性以外は極々退屈で平均的というよりは、平均よりも劣る程度の能力の持ち主だと思っています(それはそれでまた特別なのかもしれませんがね)。

ま、ともあれ。
自分自身は世界中に置いて誰の代わりにもならない特別な存在だって事を理解出来ると幸せなんじゃないかなと僕は思うわけです。
それを誰にも認められなかったとしても、自分が認めてあげるならばどんな状況下でも幸せになれるのではないでしょうか。
そう、僕のように。

結論:ナルシスト乙。

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