2008年5月24日土曜日

天才になりたかった男がき綴る駄文。

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小学生の頃、自分は他の子よりも頭が良いというのを理解していた。
単に色んな本を読んでいて他の子より多く言葉を知っていたというだけだけど。
それが、中高と続き、「あれ、もしかして自分は頭が良いんじゃないか?」と勘違いしたまま学校を卒業してしまった。
仕事をし始めてから、ますますその気持ちは強くなった。
なぜなら、そこは世間でもとりわけ優秀な頭の悪い連中が揃っている場所だったから。
世間一般では、彼らは秀才と呼ばれる存在であったのだろう。
典型的な文系が揃っていたその職場で、バリバリの理系であった自分はあまりも世間の程度の低さに辟易した。
それに自惚れていた。

だが、同時に自分のこの頭の良さは限定的、言わばその世界だけの物だという事を理解していた。
少なくとも、そこで自惚れ続けるほど馬鹿ではなかったらしい。
で、転職した。さくっと。
そして、転職した先でようやく自分もある程度の馬鹿だったんだなぁと自覚できた。
けれども、その裏側で拒否する自分もまた居る。
奴の名前はプライド。自分の中で最大級の敵だ。

自分は天才に焦がれている。
きっと、自分が天才になれない事を理解しているから。
そして、決して秀才と呼べるほど優秀ではないから。
そのくせ、それを諦めるほど、人格が出来ていないから。

天才になりたい


実は、今までにたった一人だけ天才の男に会った事がある。
クラスメートだった彼は、卒業前に壊れた。
天才であったが故に、壊れたのだろう。

短い期間であったが、彼と接していて理解できたのは、彼は自分と別の思考をしているという事が分かった。
発想の仕方が違うと言えば良いだろうか。
天才は孤独だという言葉の意味がなんとなく理解できたのもその時だ。
天才の思考をするには、常識的な積み重ねの思考というのは実は不要で、どうやって理論がそこまで飛躍できるか。
飛躍した後の理論付けは、頭の悪い秀才が補っていけばよいのだ。
天才には言葉は余計で邪魔な存在であり、思考を説明するのはかったるい。
それが、天才たる所以であろう。

では、自分はどうかというと、秀才でないいわゆる凡才だ。
というより、秀才にすらなれない落ちこぼれだ。
安っぽいプライドにしがみついているつまらない人間だ。


自ら新たな発想を行う事が出来ない、積み重ねで頑張るしかない凡人である。
その範囲も狭く浅く、高が知れている。

それでも、天才になりたい。

まだ、諦めていないのが、自分に残された唯一のあがきである。
この妄執を捨てる事が出来るのはいつになるのだろうか。
もしかしたら、一生持ち続けているかもしれない。
その可能性が非常に高い。自分は粘着性の性格だから。

今の自分には執念しか残っていない。
そしてその執念から生み出されるエネルギーは徐々に小さくなっている。
さて、自分は天才になれるのだろうか、なれないのだろうか。
もし、なれたとしたらそこで自分の目標が消えてしまい、自分を見失ってしまうのではないか。

そう、凡人はこういった下らない悩みを持つ事でギリギリ平行を保っている。
その思考が消えた時、自分は天才になり、同時に廃人になるだろう。

僕にとって、天才とはまさにそのような人物だから。

それでも、天才になりたい。

自分を認めさせたい、誰に? 世界に?
それが、空しい事だと分かっているのに?
答えは、出ない。

きっと、自己満足する結果が出せる。
そう信じて今日も意味無くコードと文章を書き綴る。
自分に出来るのはそれしかないから。

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